21年前インフルエンザが大流行した年は予防注射、治療薬が無くてたくさんの方が亡くなりました。
その1〜2年後タミフルができたと思います。
高熱で熱性けいれんをおこして救急車を呼んでも受け入れ先の病院が無い程の大流行だったのです。
あおはその年1歳3ヶ月で、熱があって小児科にかかりました。
帰宅してすぐに寝てしまったので起きたら解熱剤を入れようとしていました。
目が覚めると同時にケイレンをおこし、なかなか意識が戻らずチアノーゼで顔が黒くなってきました。
私は(落ち着け落ち着けと思いながら)震える手で救急車を呼びました。
受け入れ先がなかなか決まらず、長い時間家の前で救急車が停まっていました。
救急隊の人が小さい酸素マスクを当ててくださる中、意識が戻らない車好きなあおに向かって「あお!救急車に乗ってるんだよ!」とわけのわからない事を言ってました( ;´Д`)
頭に酸素がいっていない。死んでしまう…
必死で声をかけていました。
しばらくして救急車が動き出しました。
受け入れ先は医療センターでした。
入院施設はありません。
ケイレンしていた時間が長かったので左手と左足に麻痺が残るかもしれないと言われました。
このまま家に連れて帰るのは心配で、しばらくオムツ替えベッドで休ませていただきました。
その間今までかかったことのある入院施設のある病院に問い合わせましたが、ベッドが一杯でだめでした。
医療センターの当番医の先生がちょくちょく見にきてくださり、「小さいケイレンがまだあるね。うちの病院は遠いんだけど、そこでよければまだ空きがあるみたいだから行きますか?」と声をかけてくださいました。
本当にありがたいお言葉でした。
5時間後、あおの意識が戻りました。
でもまた夜中に高熱になり、看護師さん数人でアルコールで体を拭いたり体を冷やしたりしてくださいました。
あの時家に戻っていたらと思うとゾッとします。
あおの状態が安定するまで5日間親子入院していました。
そこは大きな大学病院で、6歳の時にADHDと診断をうけたのもその病院です。
おかげさまで左手と左足に麻痺が残ることはありませんでしたが、ずっと熱のせいで障害が残ったと思っていました。
私が早く座薬を入れていればと悔やんでいました。(生れつきだと言われたのは19歳の時。私が受け入れられたのはあおが21歳になってからです。)
というわけで、インフルエンザにかかることがコワイのです。(予防注射をしても違う型にかかった私ですが…笑)