お疲れ様です。
ぴのこです(*^^*)
「どうやって育てたらこんな子になるの?」
これは あお が幼稚園に入園後園長先生から言われた言葉です。
あおは外では砂場で、家ではミニカーや電車のおもちゃで1人遊びが好きな子でした。
3歳の時スイミングに通うようになり、みんなと同じ事が出来なくて「あれ?」っと思いましたが「慣れたらちゃんと出来るよね?」とあまり深刻に考えていませんでした。
ところが2ヶ月経っても3ヶ月経っても状態が変わらずに周りの頑張っているお友達のペースを崩してしまうし見ている保護者の方々にも申し訳なくて、辞めたくなりました。
ちょうどその頃お腹に きい(あお弟)が居ることがわかり
「お腹に赤ちゃんがいると一緒に準備体操もやりにくくなるし、あおがこんな感じでスイミングを続けるのは迷惑がかかっていて私も居づらいし…」
と、おとう(夫)に話をして辞めようと思いました。
「オレが行くよ」と おとうも協力してくれて私の代わりに連れて行く事になりましたが、
やはり あお の状態が何も変わらなくて結局1年で辞めることになりました。
スイミングを辞めてからは有り余った体力をどうしようかなと、妊婦の私にも良い散歩に変えました。
雨でもレインコートを着て傘を持って歩くのは あお にとって楽しい時間になりました。
散歩をしていると近所のおじさんやおばさんと顔見知りになって
「この子が1人で歩いていたら教えてください。」
と話せるようになりました。
そして きい が生まれて少し経ったころ、幼稚園入園前の子ども対象の幼児グループに行く事になりました。
やはりここでも集団行動や座っている事が出来ません。周りにハサミを使っている子がいても急に走ったりするので、きいをおぶって追いかけ回して叱っていました。
「なんか他の子と違う」と思ってそこの先生やお母さんたちに話をしても「男の子はこんなものよ」と言われ、周りの言葉に甘えてしまっていました。
そして幼稚園入園後、あお姉(もも)の時とは違うなぁと集団生活になじめない様子を心配していました。
その頃新聞でADHDの事が書かれている記事を見て あお みたいだなぁと思っていた時、
「どうやって育てたらこんな子になるの?」
と、園長先生に言われたのです。
幼稚園では家よりもっともっと大変な子になっていた事も教えていただきました。
私は後日新聞の切り抜きを持って行き、実は前から気になっていて悩んでいたことを話すと先生方は
「情報交換をしましょう」
と言ってくださり、ADHDの情報収集が始まりました。
「どうやって育てたらこんな子になるの?」
というショッキングな言葉は、ぴのこ家が動き始めるきっかけになった大切な言葉なのです。